北野農協管内は全道でも有数の良質米・高単収地域であるが、旭川市に隣接し都市化の影響を強く受けている。転作開始以降に兼業化が激しく進み、現在、組合員で後継ぎがいる農家は14%に過ぎず、反対にいない農家は68%にのぼっており、農協の販売金額も周辺の農協と比較して停滞的な状況にある。
本報告書は、こうした担い手不足を軸にした問題を背景に、北野地区における地域農業振興方策を策定するために、北野農協との共同研究としての基礎調査・研究の成果を取りまとめたものである。
栗山町は南空知に属するとはいえ、その開発は古く、水稲を基幹として高い生産力水準を示す農業地域である。農家の蓄積力も高水準であり、農家個々が独自の経営理念のもとで自立的な経営展開を図ってきた点が特徴であり、これまでは地域農業振興というトータルな視点にやや欠ける面があった。しかしながら、農業を取り巻く環境変化と営農主体の構造変化のもとで、地域農業全体の発展方向を見極めようとする機運が高まり、今回の振興計画樹立の契機となった。
当研究所ではこの計画策定に関する基礎調査として、現在の栗山町農業の営農主体、販売体制の分析から、農地の借地・委託形態による既存大規模農家の更なる規模拡大や営農集団型の展開等を通じた農作業の受託・分業体制の整備を通しての土地利用構造の合理化と野菜等の集約部門の拡大、ホクレンとの協調や農協独自による道外移出体制の整備、集出荷設備の先行投資等について提言を行った。
厚沢部町は、昭和60年を基準年、昭和65年(平成2年)を目標年度とする「農業発展計画」を作成した。この計画での目標は、基準年の販売金額35億4,000万円を150%以上伸ばす55億円とする大胆なものであった。そしてその実績は、平成3年度で目標の約90%にあたる49億円の販売高となり、基準年を14億も上回る好成績を収めた。なかでも野菜は20億円近い売上となり、発展計画の目標を50%も上回る好調ぶりであった。
厚沢部町が厳しい農業情勢の中で積極的な発展計画を樹立し、それを基本的に達成できた要因は、町を中心とする指導機関、団体の情勢を前向きに切り開こうとする指導力と、それを積極的に受け入れた農家との信頼関係にあったといえる。そしていまひとつは、農協の果たした役割である。農協は営農指導、集荷販売面でまさに農協でなければできない機能を果たしてきたといえる。
本報告書では第一期計画を上記のように総括し、第二期計画では基本的にこの第一期計画の発想を踏襲するものの、高収益作物の増反による経営の内包的拡大の方向で地域農業の再編を進めるべきと結論付けた。
ひだか東農業は、平成3年に北海道内第2のケースとして、浦河、様似、えりもの3農協が町を越えて合併した広域農協である。3つの農協はそれぞれ組合員が572戸、109戸、85戸(平成元年)と大きく差があり、浦河農協は6年前に荻伏農協と合併している。3町の粗生産額はそれぞれ12,518百万円、1,811百万円、1,284百万円であり、これまた格差が存在する。このうち軽種馬の比率は、浦河91%、様似82%、えりも57%である。このため、合併農協の主要課題はサラ系を中心とした軽種馬生産のあり方となるが、合併の課題である広域的な農業構造に即した総合的なものでなければならない。
これらより報告書では、「櫛の歯」状といわれる土地利用の構造を立体的に明らかにし、米、野菜、酪農、肉畜などの複合的な土地利用と品目ごとの振興課題と販売戦略を明らかにした。また、軽種馬生産の今後の方向性についても検討した。